赤塚城跡

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下総国の守護千葉氏は古河公方足利成氏と関東管領上杉家とが
争った享徳の大乱に巻き込まれ一族で骨肉相食む争いを繰り広げた。
1456年、成氏方の軍勢に攻められた千葉実胤、自胤(これたね)
兄弟は上杉家の助けを受け市川城を逃れて赤塚城と石浜城(現台東区)へ
入城。
1468年、兄の跡を継いだ自胤は太田道灌に従って各地を転戦。
現在の和光市や大宮市、足立区内に所領を獲得するなど武蔵千葉氏の
基礎を築く。その後武蔵千葉氏は南北朝以来の領主であった京都
鹿王院(ろくおういん)の支配を排除するなど赤塚の支配の強化に
努め、北条氏が武蔵国へ進出してくるとこれに従い、豊臣秀吉に
滅ぼされる天正18年(1590年)まで勢力をふるった。